若手のギアはどう変える
ゆとりさとりと呼ばれて久しい今時の若者(ここでは20代)。それでも組織に融合し、できることなら早期に戦力化していきたいと、採用する側すべてが熱望していることでしょう。私はいつも、まず戦力化の定義について考えます。採用基準がまちまちなように戦力化の定義もまちまちではないでしょうか。いや採用基準が曖昧だから戦力化についてもしっかりと説明できないところが多いのではないかと思います。どの企業でもいう「コミュニケーション力のある人」のコミュニケーション力、御社ではどう定義づけしますか?
社会人基礎力と称して「前に踏み出す力」、「考え抜く力」、「チームで働く力」があります。どの組織でも同じなのかどうか。私の知る限り、なまじ若者が前に踏み出したり、考え抜いて意見したりすると嫌がるところが多いように思います。またチームで働くにしてもそもそも「司令塔」がうまく機能していないところも少なからずあるようにも感じます。つまり社会人基礎力そのものを発揮できる土壌があるかどうかは注目すべき要素なのです。歩調を合わせることはある程度大切だとは思うのですが、もしかしたら、ゆとりさとりとレッテル付けされている若手が、長年の会社の課題を解決するかもしれない。社会人基礎力は反対から見たら企業の器指標とも言えるのです。
タイトルにギアという言葉を使いましたが、私のように平成の最初に免許を取ったような世代は「車はミッションが面白い」などとしたり顔で言ったりするのですが、燃料が電気だ水素だという今時そんな車自体、皆無に近い。新卒のエントリーシート見ても「オートマ限定」がまったく珍しくない。彼らにって自動車は、加速巡行すれば“オートマティック”にギアはチェンジされるのが当たり前。人間にも同じようなことが言えるんではと思う。出来ないと考えているのは古い頭だけであって、やらせる機会さえ与えればある程度はやるものだと思う。それが証拠に難易度の高い仕事を与えて話を聴く時間をつくると、質問してくる若者が多い。そんなことから、人材を使えなくしているのは古いやり方を変えたくない既得権益を持った既存組織なのでは?と思うことがあります。
大海原に釣り竿一本で漂流したとき、魚を釣る技術を死に物狂いで付けないことには飢えてしまう。管理育成は放置ではないので、常に双眼鏡を覗き、浮かぶ船に乗って四苦八苦している未熟な若者を見守り、たまに通信の機会を設け、これはマズイというところでは手を差し伸べてやる、この繰り返しだと思う。
やがて若者は、そうしてもらったことに恩義を感じ、また行動を手本とし、次の世代を同じように育ててくれる。組織の発展はそうして成されるのだと思います。